早熟な天才?

2004年10月18日
フィオレンティーナに移籍した中田が大ブーイングを浴びているみたいですね。

彼の現在の年齢の27歳という若さを考えると、もう一種の末期的症状が現れている感がしてなりません。
というのも、どの分野でもそうだと思うんですが、余りにちっちゃい頃に早熟な才を見せつけると、世間的なウケも手伝って、そこそこいいポジションに入ってしまうんですね。
ポジション自体がいい事は全く否定しません。
‥が、そのポジションに相応しい・足る自分でいるという事は想像を絶する努力や自己規律が要求されると思うんです。

個人的には「あれだけやってるのに何故?」とか「自分で出来る事は全部やってるのに!」とか思い出したらもう終わりだと思うんです。

人間のやる事に完璧なんてないし、完璧にやっているかどうかなんて自分が一番よく分かっています。
完璧なんてあり得ません。 
「一応やってはみたけど、ホントのトコロ全然自信ありません、神様仏様どうかお願いします」がみんなホントのトコだと思います。
人間のバイオリズムから照らしてみても365日調子がいいわけありません。

息の長いスポーツ選手は適度に気を抜く事を知っています。
プレッシャーを楽しんで、プレーそのものを楽しんで、それでいい結果が出たら万々歳。
駄目だったら「まぁしょうがないや」で済ます。
この「まぁしょうがないや」という台詞は、ヤンキースの松井選手が自分にいつも言い聞かせている言葉だそうな。

プレッシャーのかかる分野においては、この「まぁしょうがないや」という感覚が一番大事だと思います。
野球のストッパーは例えボコボコ打たれたって、すぐ次の日に平気な顔してマウンドに上がらなくてはいけないし、どんだけ点が入ってしまってもGKは1人しかいないし、この「まぁしょうがないや」と思えるいい加減さがないと、プロの世界では長持ちしないと思うのです(ある意味どんな分野も同じだと思いますが)

思えば中田という選手は高校生の頃から神童扱いされて(本人が望むとに関わらず)ある意味ペースに乗せられてきたトコもあったでしょう。
結局、根本的な事を言ってしまえば、それが好きで好きでたまらないからやっているのか、世間受けを狙う為にやっているのか、の差でもあると思います。

その「まぁしょうがないや」という果てしないまでのいい加減さ、大げさに言うトコロの強烈なまでの自分に対する自己愛が育っていない間に大舞台に出てしまうのは危険だな、と感じるのはこの辺にあると思うのですが、どうでしょう?
結局その「まぁしょうがないや」といういい加減さは、自分はこんな程度じゃないぜ、ってゆう自分に対する愛情の裏返しですから。

中田選手がもっと苦労人だったら、もっと大きい舞台で息の長い選手生活を送れただろうなぁ、とフと思いました。
結局好きだからヤキモキするんですけどね(^^;)

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